ずっとDreamWeaverを使ってたので、MTでのサイト作成、機能は素晴らしいと思うんですが、タグを手打ちしないといけない場面が増えて煩わしく感じてました。
この本でもっと簡単にMTが使えるようになる事を夢見て、、、注文しました。
Amazonから注文確認メールが届いたら、、、、HTMLメールになってた(汗)
「かごの中身を見る」や「アカウントサービス」のナビボタンまであるし〜
うちも、、、、やったろかいな。
新橋、白川周辺は祇園の中で最も情緒がある所ですねん。
祇園にきはったら、絶対見てほしいとこです。
ここが大和大路通りから見た白川通り(正式名称 白川南通り)です。
道路は石畳が敷き詰められ、北側に柳の木、南側に桜や梅、牡丹などが植えたあります。
その横には白川が流れています。
白川は白川通りに沿って流れてます。
この川は源流を琵琶湖に持ち、この写真のところからあと三十メートルほど下流で鴨川と合流します。
このあたりに大きな錦鯉が泳ぎ、もう少し上流には鴨が遊んでます。
緩やかな流れの小川は祇園情緒を一層引き立ててますねん。
こちらは、(白梅)という料理旅館です。
この白梅さんは白川通りから白川に小橋をかけて入れるようにしてあります。
この小橋がまた情緒があるんです。
白梅の名前の由来なのか、玄関には紅白の梅が植えてあります。
お昼にはお手頃価格で食事ができるそうなので、行ってみてはどうでしょう?
ちなみにこの橋は私有の橋ですので、「欄干に座ってちょっと一服」は迷惑になるのでやめましょうね。
〜〜〜続きはMT3.1が出てサブカテゴリ設定が出来るようになってから作ります(^^;
人気番組である。 あまりテレビを見ない年配の方でも見てる人が多いので、そういった方と同席した時の話題に使えるという点でも貴重な番組。 工業立国日本を支えたモノ作り職人さんらの話の回が特に僕好みである。 今週も家族らが「ウオーターボーイズう〜」とか騒いでるのを尻目に拝聴させて頂いた。
「ライバルは同業他社ではない。お客の心である。」
三洋電機創立社長の井植歳男さんの言葉だそうだ。なるほど。確かにそうだ。我々商売人はライバル企業の事を気にするが、その前にお客様の事を考えるのを忘れがちだ。肝に銘じた。
初めてサンヨーが発売した国産洗濯機には18ページに及ぶ洗濯マニュアルが付属し、奇麗に洗濯する為のいろんな方法が掲載されてたらしい。 藤村屋ウェブサイトを思い、まだまだ十分に商品の事が説明出来て無い、買物方法の説明が出来てないと反省した。 すぐさまサイトを調べ手直しを始めた。
と、プロジェクトXを見た時は凄いやる気になるんですが、元来怠け者な僕は1〜2日で元の怠け者に戻ってしまいます(汗) 週に二回放送して下さい、NHK様。
月曜日放送→水曜日までやる気持続
木曜日放送→土曜日までやる気持続
日曜日→休養
これで死ぬまで働き蜂として日本国国家のお役に立てます。本望です。
自宅から大谷さんの万灯会の灯が少し見えてたので、撮影してみました。
ビルの後ろに連なる光がそうです。
送り火は用事があって見れませんでした。
お盆行事が終わって京都の夏も終わりました。
古き良き文化、伝統が息づく京都の花街。五つの花街に夫々受けつがれた舞踊を中心とした伝統芸能を、行事や四季の写真を通して紹介。五花街の現役舞妓全員を掲載する。巻末にはお茶屋全店の地図付。京都の花街の全てがわかる。
古都の典雅な伝統が今も息づく街、祇園。歴史をたたえた町並みの中、日本髪を結い、だらりの帯をしめ、おこぼをはき、舞妓たちが歩く。四季折々の行事を織り交ぜながら祇園の町を紹介する美しい写真集
神輿に御霊遷される前に飾り付け前の御神輿が八坂神社から四条大橋まで運ばれ、当日午前中に鴨川から掬い上げられた神事用水で清める儀式を神輿洗(みこしあらい)と言います。
神輿が通る前に巨大なたいまつで道が清められます。 夕闇に煌々と光るたいまつの火と、担ぎ手達の活気あるかけ声で祭ムードが一気に高まってきます。
祇園祭の神幸祭で三基の御輿が揃い踏みし、差し上げを行っている所の動画です。
通年は担ぎ手が衝突するのを避ける為、三基がそれぞれ時間をずらして出発しますが、この動画を撮影した2002年は前年に御輿の解体修理が行われたのを記念して八坂神社西楼門前に揃い勇壮に差し上げを行いました。(以降現在まで出発前に祇園石段下に三基が揃うようになっております)
当日は凄い人出でしたので、三基揃ってる所を1フレームに納められなかったのですが、迫力は感じて頂けると思います。
ちなみに祇園祭の御神輿のかけ声は「ホイット ホイット」です。
ウィンドウズメディアプレイヤーを持って無い方はこちらからダウンロード出来ます
今年の2月に解約したクレジットカードのご利用明細が届きました(滝汗)
年間払いの自動継続で契約してたレンタルサーバーからの請求なんですが、その企業から一度「ご登録のカードがご利用頂けません」と連絡が来たので、別のカード番号を連絡してたのです。 が、何故か解約済みカードで売上処理されてました。
カードを発行してるり○なVISAカードに「解約してるカードなのにオーソリを通すんだ。ちゃんと解約処理はされてるのか?」と抗議電話したら「確かに解約処理はされてますが、よくわかりません」「お客様自身でその会社に売上取り消し処理を依頼して下さい」と他人事のように言うのでブチ切れてしまいました。
藤村屋もクレジットカードの取扱をしてますが、有効期限の記入ミスがあっただけでオーソリが取れない事が多々有るのに、なぜ解約済みのカードが使えるなんて状態になるんでしょうか?
レンタルサーバー会社からはその後丁寧な謝罪の電話がありましたが、り○なVISAカードは全く連絡がありませんでした。
終わってますね。り○な系企業。 とっとと祇園にある店舗跡地を地元優良信用金庫に格安で譲渡してから逝っちゃって下さい。 地元住民はとっても不便しております。
Q、祇園で道を尋ねようと「ちょっとあばあちゃん、教えて欲しいのですが?」とお年寄りに尋ねると無視されました。
耳が遠かったのでしょうか?
A、あんた、それはものすご危険な事をしはったなあ。
ええか、よう聞きなはれ。 祇園には「おばあちゃん」と「おばちゃん」はいいひん(いない)のや。
あんた、もうちょっとで一発かまされるとこやったで。 そんな、場合は「お母さん、教えて頂けますか?」と言わなあきまへん。
花街である祇園町の女性は現役で働いている人が多いし、年寄り臭い呼び方したら怒らはる人が多いんや。
よう、憶えといてや。「おばあさん」=「お母さん」 「おばちゃん」=「おね〜さん」と呼ばなあかんで。
ちなみに男性は「おじいさん」=「おとうさん」 「おじさん」=「おとうさんorおにいさん(にいさん)」やけど、まあ女性ほどうるそうおへん。
祇園において、四条通が東西のメインストリートとするなら、花見小路は南北のメインストリートで、ほぼ祇園の中央を南北に横断して北は三条通 り、南は安井北門通りまでの全長約1kmの路です。
花見小路は四条通りを堺にして、北側と南側では町並みの雰囲気が大きく異なります。 北側はスナックやクラブなどが入居するテナントビルが建ち並び、 南側は竹矢来に格子作りの茶屋や料理屋が建ち並びます。
都をどりの時期の花見小路南側
祇園甲部歌舞練場
古い町並みが素晴らしい花見小路南側ですが、その歴史は以外に新しく、今に言う祇園町南側一帯は明治までは建仁寺の寺領で、明治 初期の廃仏毀釈によって寺領が狭められ、明治7年に祇園甲部お茶 屋組合が7万坪を買い上げ、花街として整備されました。 四条通りの南東角には有名な一力茶屋があり、通りを進むと両側にはお茶屋や料理屋などの町屋が並び、京都らしい風情の景観となります。
突き当たると臨済宗総本山建仁寺の境内になり、竹垣の中でも非常に代表的な垣根の一つである建仁寺垣が見られます。
四条通りを挟んで北側の花見小路には東に「祇園東」と呼ばれる京の五花街の一つがあり、南側は昭和初期まで祇園甲部の中で、もっとも栄えた新橋、富永町、末吉町がある事から夜の祇園のメインス トリートとして栄えたました。
それが災いし、戦後雑居ビルが乱立、スナックやクラブがたくさん入居し、残念ながら情緒の無い煩雑な町並みとなってしまいました。しかし平成13年春にはモダンな街灯と洋風の石貼り歩道が整備され京都一の歓楽街として、毎夜賑わってます。
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通り名からも判るように、この通りは浄土宗総本山知恩院へと続く門前通りで、西は川端通りから東は東大路まで全長約500メートルあります。この僅か500m間に美術商、古美術商が20数件が立ち並ぶ事から祇園(京)の美術ストリートとなっております。
縄手通りからの入口
新門前が古美術の町として登場するのは明治中頃。当時、外国人宿泊客の多い円山の「佐阿弥(さあみ)」や蹴上の「都ホテル」が近隣にあった事から、ちょうどその中間の新門前が彼らの散策通となっておりました。この外国人に目をつけた骨董の貿易商達が、こ ぞって新門前に進出してきたそうです。
日露戦争の頃には、妙法院、智積院がロシア軍の捕虜達の収容所となっておりました。 彼らはなんと自由行動を許されており、お金も持っていたので、新門前に来ては骨董を買っていったそうです。
そういった歴史があり新門前は外国人観光客に人気の通りとなっていったので、古美術商の丁稚も番頭も英会話の修行が必須。 中には2、3カ国語を話す猛者もおられました。 新門前に訪れた海外の有名人には、英国王室のコンノート殿下、世紀の恋で知られるウィンザー公、大リーガーのベーブ・ルース等、 多数おられます。近年ではラルフ・ローレンやティナ・ターナーなどもおいでになられました。
美術商の2代目たち若い世代が音頭を取って作ったのが、「だるま」マークでおなじみの「新門前ショップリーグ」。 シンモンゼンのイメージアップをはかるため海外向けにパンフレットを制作したり、海外研修など熱心な活動が功を奏し、外国人観光客からは 「ダルマストリート」と呼ばれ親しまれております。
→このコーナーの制作にあたり、新門前の古美術商「稚松軒今井」様に全面的にご協力頂きました。 ありがとうございます。
稚松軒今井ホームページ ▼
http://homepage2.nifty.com/chishoken/
白川南通りから四条通りまでわずか150m程度の小道です
寛文年間(1661〜73)公許の郭として正式に開かれた祇園町の内外六 町である「富永町」と「末吉町」「本吉町」を横断する為、花街と してもっとも栄えた通 りの一つでしたが、戦後になると、それが災 いして廃業したお茶屋跡にビルが乱立、現在はビルの間に京町屋が挟まって建っているというあまり風情の無い通りになりました。
夜の切り通し
しかしながら、祇園の中では比較的古い通りですので、現存するお 茶屋や置屋、料理屋は歴史のある所が多く、京の鯖寿司を全国レベルの知名度に押し上げた「いづう」などの名店もこの通りにあります。 テナントビルにはスナックやクラブが入居し、夜の賑わいは昔と変わらず続いてます
末吉町通りを過ぎると、白川南通りへ至る僅か20mの部分は急に 大人3人が並ぶのがやっとの狭路となり、通りの風景が一変します。 アスファルト道路が石畳となり、格子窓と犬矢来の美しい京町屋がならんだ素晴らしい景観となります。
巽橋の上から眺める白川のせせらぎは、源流を琵琶湖に持ち、京都疎水から流れて来てます。
巽橋を渡ると辰巳稲荷がこじんまりと祀られ、地域の人々の信仰を 集めています。
Q、今度はちゃんと「お母さん」と呼んだのですが、また無視されました。 どうして?
A、ちょっと聞いとくれやす。
祇園は観光地やから、藤村屋でもでよく道を尋ねられるんやけど、人が仕事中でもお客さんとしゃべっていようが、おかまいなしに割り込んできて、道案内をさせたあげく礼の一言もいわんとこっちの話半分でスタスタ歩きだす観光客が約半分おるねん。
京都市観光課や、サントリー京番茶のおばちゃんが「おもてなしのこころ」とか言うて観光客を呼ぶ為に地元住民の尻叩きよるけど、相手によるわい。
先の「おかあさん」もそんな風に不愉快な思いを何遍も(何回も)しはったんちゃうやろか?
Q、祇園っていったい何処から何処まで?
A、か〜むつかしい事聞かはるな〜
僕もよう解りません???
僕は一応、南北が四条通りを挟んで南3筋め(団栗通り)までと北4筋目(白川通り)まで、東西が東大路〜鴨川までやと思ってます。
八坂神社の南、「下河原」は? 八坂の塔は?? というと、あの辺は学区が違うんですわ。 京都はわりかし学区=地域みたいなトコがあります。
でもまあ、世界に通用する「祇園」という地名ですから、どんどん拡大していってるみたいです。
いずれ、京都中「祇園」になるのもそう遠い日やおへん。
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う〜ん、すばらしい。テンプレを公開して欲しいです〜
「ie のアホ」がたくさん出てくる所で、いかに手こずらされたかよくわかります(^_^)
Q、古い町家を見たくて祇園に来たのに、ビルばっかりでがっかり。
A、まあ、そう言わんと。 あるとこにはありまんがな。
まあ、これもバブルのつけやわな。 最近はお茶屋さん(※舞妓さんの仕事場と思って下さい)でもビルにしてはるし。
でもまあ、気持ちは判ります。京都らし〜いトコしか撮影せえへんマスコミが悪いにゃわ。
ほんなら、こうしましょ。
京都駅に着いたら藤村屋に電話しなはれ。お迎えにいって目隠ししたまま、景色にええとこに案内して終わったら、また京都駅まで目隠しして送り返したげマス。
(要予約 約1時間コース 料金10万円、、、ウソです)
Q、祇園にせっかく来たのに普通の人ばっかりで舞妓さんはおろか、着物姿の人さえあまり見られませんでした。
せっかく京情緒を楽しみにきたのにがっかりです、、、
A、 あんたもその中の一人やろ(笑)
今度から着物着て、おいでやす。
京都観光が2倍楽しくなること受け合い! 着物はやっぱり「京友禅」が最高でっせ!
八月七日の夕方から激しい雷雨になりました。
帰宅したらパソコンとハブが壊れてました(T_T)
電源タップは雷対策済みのものを使ってたのですが、どうも電話線経由だったようで、パソコンも起動するもののイーサーネットが完全に使えなくなりました。
スイッチングハブも電源は入るのに全然機能しません。
皆さんも電話線用のサージフィルター導入しといた方が良いですよ。
ってしてなかったの僕だけ?(^^;
しかし電話線から→ADSLモデム→ファイアーウオール→ネットワークハブ→Macとつながってて、壊れるなら上位からのような気がするんですが、下位から壊れてゆきました。 なぜだろう?
さらにテレビ付きドアホンも潰れました。電話線を通じて各部屋へ設置してる電話で対応出来るようにしていたのがあだになりました。
あ、ついでにBS放送も映らなくなりました。 韓国ドラマにハマってる嫁はんは速攻で電気屋に修理頼んでました。
普段は僕に「修理頼のんどいてな〜」丸投げするくせに(T_T) BSアンテナ全交換です。
今まで天災に遭った事が無かったのですが、今回プチ被災者となりやり場の無い怒りを感じると共に、なぜ古代の人が祭事で天災を免れようと思ったのか少しわかりました。
Q、「いちげんさんお断り」の店に入ってみたいんですけど?
A、たしかに敷居が高いわな〜。 でもまあ予算があるのやったらこ〜しなはれ。
そしらん顔して店にはいるんや。 お店の人に「あの〜うちはいちげんさんお断りなんですが、、、」と言われたら、すかさず
「あれ?忘れたんかいな。も〜。ほれ、こないだ(このあいだの意)田中さん(鈴木さんでも可)に連れてもうた××ですやん。かなんな〜。 あ!大将!久しぶりでんな。大将の美味しい料理の味が忘れられへんかったんで、ついつい一人で来てしょもたんや。 また美味しいもん、たのみますわ」
と堂々と言ってみなはれ。 まあ追い出される事は無いと思いまっせ。
関西ECワークショップ: WebShop リ・デザインセミナー
僕が属している関西ECワークショップ主催で初のセミナー開催となりました。
講師は藤村屋のサイト作成でお世話になった山本容子さん。
プロのウェブデザイナーさんの仕事の仕方というかサイトの見方が垣間見れた良質なセミナーでした。
Q、「いちげんさんお断り」の料理屋じゃなくてお茶屋さんに行きたいんですが?
A、わしも行った事無いのに知るかいな。ホンマ!
しゃーない、とっておきの方法を教えたげます。
まず藤村屋に就職するんや。 言うとくけど給料は安いで〜はっきりゆうて無いに等しい!
でも目的が達成できたら、無給でもええやろ? なんやったら僕と一緒に組合作りましょ。
僕は一回メーデーで「給料あげろ、コノヤロウ!」とか「サイト1ページ作るごとに1万円よこせ」と叫んでみたかったんですわ。
。。。話がちゃう方向へ行きました。すんません。
ほんで、電話注文がかかってきたら、チャリンコ(自転車)乗って行ってらっしゃい
ただし、玄関から入らんと勝手口から入っていかんと、お茶屋のおかみさんに怒られるデ
商品渡したらさっさと帰ってきんと、藤村屋のオヤジに「何処で油売っとったんや!!」と怒られるデ。
京のメインストリートと言っても過言では無い四条通りは、後ろに 東山を抱く八坂神社から西山を抱く松尾大社まで全長約7キロの路 です。 歴史は平安京までさかのぼり、古記には四条大路と記されておりま す。 京都の東西にまたがる大路ですから、門前町、繁華街、ビジ ネス街などいろんな顔を持っているのが特徴でしょう。
歌舞伎発祥の地 碑(地図マーク2)
四条大橋東詰には京阪電鉄の四条駅があり、阪急電鉄京都線の河原 町駅への乗換客で朝夕の通 勤時間帯には沢山の人通りがあります。
出雲の阿国石像(地図マーク1)
またこの地は1600年代、四条河原で出雲の阿国がかぶき踊りを踊っ たのがルーツとされる歌舞伎の発祥の地と言われ、現在でも現存する最古の歌舞伎座である南座があり、年末に行われる顔見世興行は京の年中行事として、日本全国の歌舞伎ファンに親しまれてます。
顔見世興行のまねきが上がった南座
鴨川東岸から祇園石段下までの約500mの部分は八坂神社の門前町としての色彩 が強く、飲食店や土産物、京菓子、京漬物などの有 名店が多く、中でも花街祇園を抱える事から、和装用品の店が目立 ちます。 このような店が加盟した祇園商店街では京の町にマッチ する和風のアーケードや鉄柵(ガードレール)を整備して祇園散策 をさらに楽しんで頂けるように努力しております。
四条通りに面した店はその多くが観光客向けの店の為、午後8時頃には大方の店が閉まってしまい、夜になると歓楽街である花見小路や富永町とは対照的にひっそりとした姿になります。
八坂神社の正門である西楼門を出て下河原通りを南に下がり3筋目 (もしくは4筋目)に左手に折れる小さな路地へ入る道があります。
路地へ入ったとたん両側に並ぶ町屋の基礎部分の石垣がまるで石塀のように見えます。 石塀小路という名前の由来が容易に想像出来ます。 京都はわりと坂の少ない町なんですが、ここら辺は東山のふもとですから勾配がけっこうあり、建物の基礎部分を大きくとってるんでしょう。 路に敷き詰められた石畳の一部は昭和50年代に廃止された京都市電の敷石を移設したそうです。
小路の両側には料亭や旅館、スナックが建ち並び、祇園の奥座敷として粋人に愛されてます。 歴史は意外に新しく大正初期に誕生したとか。 祇園にある多くの路が昔の情緒を失っている中、石塀小 路は伝統建築物保存地区に指定されてますから昔の風情をしっかり 残してます。一時期いわゆるお妾さんの家が多かった事から「お妾 通り」なんて呼ばれていた事もあったようです。 また、その絶好のロケーションから雑誌等によく取り上げられるものの、入口が見つけにくいのか人が少なく情緒的な雰囲気を味わえます。 路は右に折れ左に折れ袋小路?と思いながら数回曲がった所で高台寺通りへと抜けます。 夕暮れに歩くと、料理屋や旅館の看板が薄ぼんやりと光りさらに情緒が高まります。
このサイトについてのご感想、または、祇園の観光案内お問い合せ等、当方に何かご連絡がございます場合はこのフォームを使ってお気軽にご連絡下さい。
ただ最近、こちらが一生懸命調べしてお返事差し上げても、それっきりの礼儀知らずな方が多くて、虚しさや悲しさを感じる事が多々ございます(T_T) また誹謗中傷、御自分の考えの押し付けなどはお返事しにくい場合もございます。
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