さて、今日は義姉妹のお話どす。先日放映された「スーパーテレビ」の照古満はんの店出しで、固めの盃事が映ってたんを観はりましたやろか?照古満はんの向いに座ったはった照豊はんが照古満ちゃんの「お姉さん」どす。その横には照豊はんのお姉さんの照千代はんが並んだはりました。
皆はんもご存知の通り、舞妓ちゃんに憧れて祗園へやって来て、どこぞの置屋はんでおちょぼはん(仕込みさん)をおよそ一年ほど続けてから、いよいよ舞妓ちゃんとして店出し(デビュー)するようになったとき、必ず芸妓はんのお姉さんに(ごく稀に舞妓ちゃんでも)引いて貰わななりまへん。この時の人選は、屋形のお母はんの人脈とかで決まってしまいますさかい、舞妓ちゃんの意志は全く反映されへんのどす。つまり、自分から引いて貰うお姉さんを選ぶことは出けしまへんのどす。ごく稀に自分からの逆指名ちゅうこともあったらしおすけど、あくまで例外どす。
めでたく、引いて貰うお姉さんが決まったら店出しの当日、お姉さん・お姉さんのお姉さん(引いてもらう舞妓ちゃんからみて大っきいお姉さん)・先に引かれた姉芸・舞妓等親戚筋が集まって、義姉妹の固めの盃事が行われんのどす。是から先は、どちらかが他界するか妓籍を抜けるかするまではず〜っと続く関係なんどす。ある意味では、ほんまの姉妹よりずっと深い関係と云えるかもしれまへん。実はこの姉妹縁組み、引かれる舞妓ちゃんよか引くお姉さんの方が精神的にも肉体的にもずっと大変なんどす。
ちゅうのも、妹がしたことについての責任はすべて姉にまわって来んのどす。お師匠はんに舞が下手やて叱られたときは一緒に付いてあやまりに行かんなりまへんし、「おとめ」ちゅうて稽古場に残されたときは、飛んで迎えに行かんなりまへん。何らかの理由でお座敷に穴空けたらそのお茶屋はんのお母はんに謝りに行かんなりまへん。出立ての頃は、贔屓のお客さんなどおへんさかい、お姉さんが連れまわって「今度出たうちのいもとどす、よろしゅうお頼申します」ちゅうてお客さんに紹介してまわります。勿論、お客さんに粗相でもしたときは、一緒に謝らんならんのは当然どす。「うちのいもとがえらい事しまして、すんまへんどした」て。
今でこそそういったことは少のうなりましたが、毎月の簪を揃えてやったり、「東京行き」ちゅうて東京見物にも連れて行かんなりまへん。芝居見物にも、ご飯食べにも連れて行かはります。悩み事があったら相談に乗ってやらんなりまへんし、舞や鳴り物のアドバイスもしたげます。
どうどす、こんな事やったら妹なんか引かん方がましや、て思わはりました? 実際、屋形のお母はんから「○×はん、今度うちの子、引いて貰えへんやろか?」て云われたら、大概はしり込みしはります。けど、結局お母はんとか、自分のお姉さんとかの筋でどないも断れんようになって来んのどす。それに、よう考えたら、自分も昔、お姉さんに引いて貰うて舞妓ちゃんになったんどすさかいに、そのお礼返しやと思うたらしょうおへん。そうして順繰りに関係が続いて行くのんどす。
ほな、舞妓ちゃんは楽でええやないか、て思わはるお方もおすやろけど、舞妓ちゃんにはまた、せんならんことがあんのどす。今でこそ、見かけんようになりましたけど昔は「鏡台磨き」ちゅうて、毎朝自分のお姉さんのとこまで行って、お姉さんの鏡台まわりの掃除と水の用意をせんなりまへん。それに今の若い子には辛いことどっしゃろけど、お姉さんの云うことには絶対服従なんどす。お姉さんが「あきまへん」ちゅうたらどんなことがあってもあかんのどす。一緒にご飯食べに呼ばれても、お姉さんが箸をつけるまでは、なんぼお客さんが勧めても決して口にすることは出けしまへん。(ある意味で体育会系、もしくは軍隊)
こない書くと、なんやいじめの世界やないか、て思わはるかも知れまへん。けど、お姉さんにとっていもとは決して憎い筈がおへん(て、うちは信じとります)。他所の妓よか、自分のいもとが可愛いのんは当然どす。よその妓より自分のいもとが舞が上手やったらそら嬉しおす。お師匠はんから誉められたりしたら、我がこと以上の喜びどす。せやから、をどりが近づいたら気が気やおへん、あんじょう舞えるやろか、失敗せえへんやろかと、まるで参観日の母親みたいに稽古を見つめたはります。いもともそんなお姉さんの気持ちが通じてか、お姉さんの名前に瑕つけんように、お姉さんに恥かかさんようにと一生懸命稽古に励まはんのどす。どうどす、なかなかええもんどっしゃろ、義理の姉妹も。