皆はんもテレビやなんかでいっぺんは観たことあるて思います。祗園祭ちゅうたら、皆はん思いつかはるのんが、豪華絢爛な山鉾巡行どっしゃろ、けど実際はこれは八坂はんの神事やのうて、各鉾町の、云うたら町衆のお祭なんどす。八坂はんのお祭りは別に、同時進行してるのんどす。メインは、神輿が八坂はんを出発する17日の神幸祭と、還ってきはる24日の還幸祭どすやろか...約一月間かけて行われる長〜いお祭なんどす。
元々、この祗園祭は「祗園御霊会・ぎおんごりょうえ」て呼ばれ、昔疫病が流行したりすると、それを起こすて思われてた疫神、つまり御霊の退散を祈願して、祗園舎(今の八坂神社)の神輿を担ぎ出し、二条の神泉苑まで練り歩いて、疫神退散の御霊会をしたんが始まりやそうどす。ちなみにこの神輿を担ぎ出したんは、祗園舎だけやのうて、今宮神社でも疫病が流行ると神輿を出し、近くの船岡山で御霊会をしたんどす。地名から紫野御霊会て呼ばれとりました。
「日本神話でも知られるように、スサノヲノミコトは、ヤマタノオロチ(八岐大蛇=あらゆる災厄)を退治し、クシイナダヒメノミコトを救って、地上に幸いをもたらした偉大な神さまです。」
八坂神社のHPにはこんな風に書いておすけど、実際には素戔嗚尊・すさのおのみことは、その悪行が過ぎて高天原から追放された神さんどす。そのひどさにお姉さんの天照大神・あまてらすおおみかみが怒って天岩戸に隠れてしまわはった話は皆はんよう知っといやすやろ。その素戔嗚尊と、これまた疫病の元みたいな牛頭天王・ごずてんのうとが同一化のして祀られたんどす。
せやから、祗園舎の神輿を神泉苑まで担ぎ出して、御霊会をするちゅうのんは、他でもおへんこの素戔嗚尊に怒りを静めて貰うて疫神に退散して貰うちゅうことなんどす。疫病は今でこそ、細菌等で起きるもんやちゅうのんは皆知ってはりますけど、昔の人はそないなこと分からしまへんさかい、きっと御霊、すなわち怨霊が引き起こすもんやて思うたんどす。そう、素戔嗚尊はんも高天原を放り出されてきっと怨み持ってはったんやて思いますえ。
先月、ひとりの舞妓ちゃんの衿替えがおした。今回は衿替えのお話どす。
「衿替えて何?」て云わはるお方のために説明しますと、読んで字の如く衿を替えることどす。え、「それだけではわからん」てつまり刺繍をほどこした紅いのんやら白いのん、一枚がうん十万もする舞妓ちゃんの派手な衿から真っ白の芸妓はんの衿に替えることどす。そう、舞妓ちゃんから芸妓はんになる儀式を云うのんどす。昔は旦那が出来ると衿替えしたもんどすけど、今はそういったことがおへんさかい、店出ししてから4・5年位たつと屋形のお母はん、姉芸妓らが相談して決めはるのんどす。
もちろん、個人差がおますさかい、ちいそうてかいらしい妓は長いこと舞妓ちゃんしてますし、大人びて(決してふけて、ではおへんえ)見える妓は早いとこ芸妓はんにならはるのんどす。「○×ちゃん、そろそろ衿替えちゃうのん?」「をどり済んだら衿替えやて思うてたのに、お母はんが来年にしぃて云わはるねん。もうかなんわ」「そうかぁ、けど○×ちゃんはおぼこう見えるさかいええやんか。芸妓はんなったら大変やで。若手の芸妓はん仰山いたはるさかい、今までみたいに売れへんで」「けど、うちよか下の妓ぉかて衿替えしてはって、芸妓はんから『姉さん』て呼ばれんのもなんや体裁悪おすえ」
花街では、年令は関係おへん。たとえ一日でも早う店出しした方が姉さん、これは生涯変わらしまへんのどす。せやから、後から店出しした妓が先に衿替えして芸妓はんになっても、先輩の舞妓ちゃんに会うたら、「姉さん」て呼ばんなりまへん。お座敷なんかで、事情の解らへんお客はんがそれを聞いたら「え?」ってなりまっしゃろなぁ。
衿替えの一週間前位から、舞妓ちゃんは黒紋付に三本襟足の正装で、髪は先笄(さっこう)という江戸時代に若妻がしたていう髪形に結うて、お歯黒をさすのんどす。これは昔の舞・芸妓はんは今みたいに自由に結婚とかでけしまへんどしたさかい、かわいそやちゅうていっぺんは若妻の恰好さしてあげたんやそうどす。この恰好でお座敷を廻り、祝い事の時に舞われる「黒髪」ちゅう舞を舞うのんどす。少女から大人へと変わるひととき、その艶やかさに観る者は思わずぞくっとしますえ。舞妓ちゃん最後の日には、髷の先にしっぽみたいに飛び出た髪の元結を、昔は旦那はんが切らはんのどすけど、今は屋形のお母はんの仕事どす。
当日は、朝から姉芸妓・妹芸・舞妓・屋形のお母はんらが集まって、あわただしく準備が始まるんどす。黒紋付に二重太鼓、真新しい鬘をかぶると、きんのまでおぼこい顔してたんが急に大人になったみたいどす。お母はんの切り火を背にして男衆はんに連れられ、80数軒あるお茶屋はんに挨拶回りどす。「お頼申します、お母はん」今日はこの言葉をなんべん口にするんどすやろなぁ。挨拶が一通り終わって屋形へと戻ってくると、お姉さんや姉妹達、お母はんらと「おちつき」て云われる祝膳に向います。お母はんから「よう辛抱しやはったな、これからもおきばりやす」と声かけられると、きんのまでの事が頭ん中を走馬灯のようにめぐって、思わず涙が頬をつたうのんどす。気持ちも落ち着いたら、さあ今夜から一番新しい芸妓としての生活が始まるのどす。