京都祇園観光案内(テスト運用)

2002年06月27日

女紅場

今日は祗園の芸・舞妓はんらが通う八坂女紅場学園のお話どす。女紅場・じょこうばて云うのんは明治の初め頃に全国につくられた、女子に裁縫・料理・読み書きなぞを教えるための学制外の施設のことなんどす。明治5年には京に新英学校女紅場(現在の鴨沂高校)、八坂女紅場がでけました。同志社女子大学も最初は「同志社分校女紅場」ちゅう名前やったんどすて。人気がなかったんか、やがて全国の女紅場は閉鎖されていったんどすけど、八坂女紅場だけは祗園甲部の芸事の研修所として残ったんどす。

祗園ではじょこうばとは云わしまへん、「にょこうば」て呼んどります。学園ちゅう名称がついとりますけど世間で云うところの学校法人やおへん。せやからここの生徒になっても学割は貰えしまへん(笑)。授業科目は、舞・能楽・長唄・一中節・常磐津・清元・地唄・浄瑠璃・小唄・鳴物・笛・茶道・華道・書道・絵画などがあんのどす。舞、鳴物、茶道と最近になって三味線が必須科目になったんどす。それ以外は好きなんを選択でけんのどすけど、大体自分のお姉さんの習うたはるもんになるみたいどす。

ここでは下は15歳から上はそれこそ80過ぎの生徒がいてはります。中学・高校やと三年生が最上級生どすけど、ここでは何十年生がいたぁります。他の学校では考えられへんことどす。またこの学園、毎年お正月に始業式はおすけど、入学式もおへんし卒業式もあらしまへん。つまり舞妓になったときが入学式、妓籍を抜けるときが卒業式ちゅうことになんのどす。自分一人、心の中での入学式・卒業式ちゅうのも他の学校では考えられしまへん。勿論、体育祭も修学旅行もあらしまへん(笑)、文化祭にあたるのんが春の都をどり、秋の温習會ちゅうことになんのどっしゃろか。

時間も、普通の学校みたいに毎日決まってるわけやおへん、自分の習い事があるときに出かけて行くのんどす。時間割ちゅうか、予定表が花見小路と切通にある検番の前の黒板に書いたぁりますさかいに、今度通ったときにでも見とぉくれやす。あ、あきまへんえ、勝手に書き変えたりしたら、見るだけにしといとぉくれやっしゃ(笑)お稽古の順番も原則的には早う来た順番なんどす。早う済まそて思うたら早くから行って待っとります、けどおっきなお姉さんが後から来やはったら、気を使うて「お先どうぞ、○×さん姉さん」て譲るときもあんのどす。せやから出たての舞妓ちゃんは時間がかかるんどす。けど、お姉さん方のお稽古を見せて貰うのんも勿論お稽古のうちどすさかいに、熱心な妓ぉは長いこと見学したはりますえ。

普通の学校の生徒と一緒で、お昼ごはんは一日の内で楽しみなひとときどす。お稽古が済んで、仲のええ同期らと待ち合わせて一緒に食事行くのんが嬉しおす。「ああ、おなか空いた、○△ちゃん今日は何食べる?」「せやなぁ、スタバもちょっと飽きたしなぁ、フカヒレラーメンでも食べよか」「あ、あれ美味しいなぁ。いっぺん、うっとこのお姉さんに連れてって貰うたわ。お姉さん、店でけたとき3日も続けて行かはったんやて」
昔は、舞妓ちゃんがお稽古帰りに食事にお店入るなんちゅうことは許されてへんかったんどすて。もしお姉さんにでも見つかったら、そらすごいこと怒られたらしおす。今の舞妓ちゃんはその点、恵まれとりますなぁ。て、おっきなお姉さんが云うてはりました。同期と一緒に食べながらいろんな話に花が咲きます。このときばかりは世間一般の普通の女の子に戻って、きゃあきゃあと賑やかなことどす。たまには悪口も出て来ますけど、気ぃつけなあきまへんえ、壁に耳有りどっせ。

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投稿者 八代目 : 19:50 | コメント (0) | トラックバック

2002年06月01日

お風呂

今日はお風呂のお話どす。今はどこの屋形にも内風呂がおますさかいに、銭湯へ出かける舞妓ちゃんは殆どおへん。けど、一昔前まではみんな銭湯へ出かけて行ったもんどす。昼下がりに、浴衣がけで石鹸の匂いがする舞妓ちゃんらが歩いてるとこなんかなかなか風情がおしたけどねぇ。誰どす、お金払うてもええさかいにそんなとこの番台に座りたい、て云うたはんのは(笑)。名前は忘れてしもうて、今はもうおへんけど、先斗町には女風呂だけちゅうお風呂屋さんがおました。お客はんはもちろん先斗町のお姉さん方どす。祗園にも「祗園湯」ちゅうお風呂屋はんがあったんどすけど、最近無うなってしまいました。

このお風呂へ行くタイミングが難しいのんどす。新人の舞妓ちゃんにとっては皆先輩どす、「着物着たはるおなごはんみたらとにかく頭下げときなはれ」て云われるくらいどっさかい、そんな妓が何も考えんとのこのことお風呂へ出かけたらえらい目に合うのんどす。さあ上がろかいな、思うたとこへお母はんとかお姉さんとかが入って来はります。「お先どす、姉さん」ちゅう訳にはいかしまへん。「背中流さして貰います、姉さん」で、ゴシゴシゴシ。ようやっと終わったて思うたところへ次のお姉さんが、運がわるいと次から次へと入って来て中々出られしまへん、揚げ句の果てに湯あたりで倒れた舞妓ちゃんもいたそうどす。

舞妓ちゃんになってしばらくすると、要領がわかって来ます。お母はん、お姉さん方がお風呂屋はんへ行く時間ちゅうのは大体決まっとります。せやから、ぎょうさん行かはる時間帯を避けて、少ないときに行くのんどす。生活の知恵どすなぁ。けど、中にはその逆を狙う妓もいたんどすて。どういうこっちゃて云いますと、昔は今みたいに舞妓ちゃんの数が少のうて、ちやほやされる時代やおへんどした。器量の悪いのんや舞の下手な妓は中々お花が売れへんのどす。今では考えられへんことどすけど、都をどりも出られへん妓がぎょうさんいたらしおす。

そこで、そういう妓はどうするかて云うと、朝は毎日お茶屋はん巡りをして「お母はん○×どす、よろしゅうお頼申します」そう、先ず名前を覚えて貰わなどうしようもおへん。それにおかんにしても、毎日毎日通うて来るといじらしゅうなって来ます。何かの折りに、そやあの○×ちゃん呼んだろか、ちゅうことになりますわなぁ。そこで、お風呂でもこの手を使うんどす。つまり、ぎょうさん来やはる時間をわざと狙って待ってんのどす。で、来やはったおかんに「お母はん背中流さして貰います、どこそこの○×どす、○×どす、よろしゅうお頼申します」て、選挙の連呼みたいに背中で云うのんどすて。こんな話聞いたら、切のうて泣けてきまっしゃろ。

売れへん妓は人並以上に努力せなあきまへん、結果お稽古も熱心にしやはるし、愛想もようなります。逆に顔立ちがええ妓はほっといても(※1)お花が売れますさかいに段々と横着になって、これが自分の実力なんやて思うようになってしまいます。何年か経ったら、その差ははっきりしますわなぁ。持って生まれた美しさちゅうのんは段々と古うなりますし、次から次と若い妓が出てきます。盛りの時期はあっちゅう間どす。それに比べて、身につけた芸ちゅうもんは年が経つほど磨かれていくもんどす。

そら器量が良うて努力家ちゅうのんが理想的やとは思いますけど、うちが思うに、舞妓ちゃんになる条件は決して顔立ちだけやないて思うんどす。器量の悪いのんをバネにして努力するちゅう根性があるかないかの問題やて思います。こら舞妓ちゃんの世界だけやおへんけど、自分が大事にされへんのは綺麗に生んでくれへんかった親のせいやとか云う子がいてますが、見てるとそういう子に限って努力はしたぁらしまへん。人間、努力したらきっとそんだけの報いはある、て思いますえ。

※1 お花  花代ちゅうて、芸・舞妓ちゃんを呼んだときの料金のことどす。5分を1本ちゅうて勘定すんのどす。1本幾らかは、そんときの状況次第、おかんが鉛筆舐めながら決めるんどす。

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投稿者 八代目 : 19:48 | コメント (0) | トラックバック
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