新門前が古美術の町として登場するのは明治中頃。当時、外国人宿泊客の多い円山の「佐阿弥(さあみ)」や蹴上の「都ホテル」が近隣にあった事から、ちょうどその中間の新門前が彼らの散策通となっておりました。この外国人に目をつけた骨董の貿易商達が、こ ぞって新門前に進出してきたそうです。
日露戦争の頃には、妙法院、智積院がロシア軍の捕虜達の収容所となっておりました。 彼らはなんと自由行動を許されており、お金も持っていたので、新門前に来ては骨董を買っていったそうです。
[藤村屋TOP][第一回石塀小路]/[第二回四条通り][第三回切り通し][第四回新門前通り][第五回花見小路通り]