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ごまめの歯軋り お茶屋とおかん
赤ボタン祇園甲部の始業式
2001年 1月24日

赤ボタン花街の立春
2001年 2月8日

赤ボタン大石忌
2001年 2月25日

赤ボタン一見さんおことわり
2001年 3月19日

赤ボタン
2001年 3月30日

赤ボタン都をどり
2001年 4月1日

赤ボタン都をどりの楽屋裏
2001年 4月16日

赤ボタン舞妓ちゃんの休日
2001年 5月5日

赤ボタン川床
2001年 5月24日

赤ボタン襟替え
2001年 6月13日

赤ボタン祇園祭
2001年 6月30日

赤ボタン団扇
2001年 7月26日

赤ボタン舞妓ちゃんと芸妓はん
2001年 8月9日

赤ボタン地蔵盆
2001年 8月31日

赤ボタンお茶屋とおかん
2001年 9月19日

赤ボタン晴明はん
2001年 10月17日

赤ボタン同期の舞妓
2001年 10月30日

赤ボタン花街と任侠界の義理ごと
2001年 11月28日

赤ボタン祇園の師走
2001年 12月24日

矢印 2002年へ
祗園をはじめ、花街ではその人ごとに上がるお茶屋はんが決まってるんどす。(宿坊・しゅくぼうて云うとります)最初はどなたか、そこの常連さんに連れて行って貰うしかおへんのどす。で二度、三度と連れて貰うてるあいさに、そこのおかん(女将)の面接が暗黙のうちに行われとるんどす。この人はうちの店に合うてるかいな、店のことを大事に思うてくれはるかいなて、そこでおかんからOKが出たら、晴れて一人でも行けるようになんのどす。そんときから請求が自分とこへまわって来ます。それまでの分は紹介者にすべて行くのんどすけど。

しばらくして少し慣れてきて、「あそこのお茶屋はんに行ってみたいなぁ」て思うても後の祭どす。バーやクラブやったらどこなと気に入った店に行けますけど、お茶屋はんは原則的に一つの花街で一軒だけて決まっとります。せやから自分の宿坊ちゅうのんは運命的出会いみたいなもんどすなぁ。そない思うてご縁を大切にして、うちの宿坊をできる限り応援さして貰うとります。おかんに内緒でよそのお茶屋はんに行こ思うても、まずそのお店で上げてくれまへん。万が一上がることがでけても、その日のうちにみなばれてしまうんどす。IT革命以前に花街の情報網は進んでおりますえ。

それにそんなことばっかししてると、「廊下とんび」やとか「伯耆の守・ほうきのかみ」とか云うレッテルを貼られてしまいます。そうなると花街では死んだも同然、どこのお茶屋はんも、どの舞・芸妓はんも相手にはしてくれまへん。どこの世界でも信用を築くのんは長いことかかりますけど、失うのんはあっちゅう間どすえ。但し、大きな顔してよそのお茶屋はんに行く方法もおます。「お呼ばれ」ちゅうんどすけど、誰ぞ知りあいに他所のお茶屋はんの常連さんがいてたら、そのお方に連れて貰うのんどす。これやとどこからも文句は云われしまへん。ただし、そこの請求は知りあいのお方へ行きますさかい、後でお返しはせなあきまへんわなぁ。

をどりとかで綺麗な芸妓はん見つけて、「おかん、○×ちゃんいっぺん呼んでぇな」ちゅうても、「ああ、あの妓なぁ、いっつも売れてはるさかいになぁ」とかなんとかはぐらかされて、結局呼んではくれまへん。芸妓はんのしてはるお店でも、「いっぺん△×行きたいねんけど」ちゅうたら「そんなとこ行かいでもよろし」の一言。最初のうちは、なんで出しおしみしてるんやて思うたんどすけど、後になって思うたらその妓はうちには向いてへんとおかんが判断して会わしてはくれはらへんことどした。あんたの甲斐性ではあの妓は無理やとか、合いすぎてはまってしまうと困るやろからとか、口には出さはらへんけど常にお客の立場を考えてくれたはります。

せやから花街では、おかんの云うことに従うてんのが一番どす。自分に合うた遊び方を教えてくれはりますし、危ないとこへは行かさしまへん。あほなことしよ思うてたら「そんなあほなこと、せんとぉきやす」て叱られます。これにはええ年した男はんも、立派な肩書のお方も皆おとなしゅう云うこと聞いてはりますえ。まるで自分の母親に云われたみたいに。そう、お茶屋はんちゅうとこはもう一つの我が家みたいなもんどす。自分の好きなもんや、嫌いなことみんな覚えてくれてはって、気ぃ使わんでもみぃんな段取りしてくれはります。皆はんも変なとこで、無愛想な女の子に気ぃ使うて金使うて遊んではるんやったら、いっぺんお茶屋はんへ行ってみたらどないどす?

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このコンテンツは祇園藤村屋が過去に発行したメルマガ祇園藤村屋電子瓦版の記事を再構成したものです