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ごまめの歯軋り 祇園祭
赤ボタン祇園甲部の始業式
2001年 1月24日

赤ボタン花街の立春
2001年 2月8日

赤ボタン大石忌
2001年 2月25日

赤ボタン一見さんおことわり
2001年 3月19日

赤ボタン
2001年 3月30日

赤ボタン都をどり
2001年 4月1日

赤ボタン都をどりの楽屋裏
2001年 4月16日

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2001年 5月5日

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2001年 5月24日

赤ボタン襟替え
2001年 6月13日

赤ボタン祇園祭
2001年 6月30日

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2001年 7月26日

赤ボタン舞妓ちゃんと芸妓はん
2001年 8月9日

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2001年 8月31日

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2001年 9月19日

赤ボタン晴明はん
2001年 10月17日

赤ボタン同期の舞妓
2001年 10月30日

赤ボタン花街と任侠界の義理ごと
2001年 11月28日

赤ボタン祇園の師走
2001年 12月24日

矢印 2002年へ
皆はんもテレビやなんかでいっぺんは観たことあるて思います。祗園祭ちゅうたら、皆はん思いつかはるのんが、豪華絢爛な山鉾巡行どっしゃろ、けど実際はこれは八坂はんの神事やのうて、各鉾町の、云うたら町衆のお祭なんどす。八坂はんのお祭りは別に、同時進行してるのんどす。メインは、神輿が八坂はんを出発する17日の神幸祭と、還ってきはる24日の還幸祭どすやろか...約一月間かけて行われる長〜いお祭なんどす。

元々、この祗園祭は「祗園御霊会・ぎおんごりょうえ」て呼ばれ、昔疫病が流行したりすると、それを起こすて思われてた疫神、つまり御霊の退散を祈願して、祗園舎(今の八坂神社)の神輿を担ぎ出し、二条の神泉苑まで練り歩いて、疫神退散の御霊会をしたんが始まりやそうどす。ちなみにこの神輿を担ぎ出したんは、祗園舎だけやのうて、今宮神社でも疫病が流行ると神輿を出し、近くの船岡山で御霊会をしたんどす。地名から紫野御霊会て呼ばれとりました。

「日本神話でも知られるように、スサノヲノミコトは、ヤマタノオロチ(八岐大蛇=あらゆる災厄)を退治し、クシイナダヒメノミコトを救って、地上に幸いをもたらした偉大な神さまです。」

八坂神社のHPにはこんな風に書いておすけど、実際には素戔嗚尊・すさのおのみことは、その悪行が過ぎて高天原から追放された神さんどす。そのひどさにお姉さんの天照大神・あまてらすおおみかみが怒って天岩戸に隠れてしまわはった話は皆はんよう知っといやすやろ。その素戔嗚尊と、これまた疫病の元みたいな牛頭天王・ごずてんのうとが同一化のして祀られたんどす。

せやから、祗園舎の神輿を神泉苑まで担ぎ出して、御霊会をするちゅうのんは、他でもおへんこの素戔嗚尊に怒りを静めて貰うて疫神に退散して貰うちゅうことなんどす。疫病は今でこそ、細菌等で起きるもんやちゅうのんは皆知ってはりますけど、昔の人はそないなこと分からしまへんさかい、きっと御霊、すなわち怨霊が引き起こすもんやて思うたんどす。そう、素戔嗚尊はんも高天原を放り出されてきっと怨み持ってはったんやて思いますえ。

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このコンテンツは祇園藤村屋が過去に発行したメルマガ祇園藤村屋電子瓦版の記事を再構成したものです